立命館大学のpixiv論文問題~二次創作者は公共サンドバッグか?~
重金やからです。
お待たせしていますライアートリックですが、今夏ごろにはリリースできればという予定です。
パイロット版からずいぶん時間が経ちましたが、完成まで時間を頂ければと思います。
システム・シナリオは完成しているので、スクリプト化&デバッグ、グラフィック作成を進めています。
ここ数日、立命館大学のpixiv論文問題が話題となっていますが、これは大変気になるニュースです。
意外な論文支持論
このニュースを受け止める創作者サイドの大半は、論文執筆者側への非難を強めています。
ですが、有名ブロガーや有名ニュースサイトの記事などでは、論文執筆者側を「ある程度」支持する主張が意外と多いと感じます。
研究への期待感もあるのでしょうが、私にとっては結構驚くポイントでした。
創作者サイドの論点は様々ありますが、論文への理解を示すサイドの論点は、主に「著作権的には問題ない」というコトのようです。
もちろん、論文にもモラル的な問題があったというコトも指摘はされてますが、法的には問題ないという前提です。
問題点は?
私自身も、この件については著作権的な問題は無いと考えています。
pixiv運営などが、その点で問題提起しているのは論点がずれていますが、名誉棄損という考え方においては、論文側は「基本的にアウト」だと思えます。
著者・作品を挙げて「青少年にとって有害な文章」だと論文で示唆して、それが「著者の社会的評価を損なわない」と主張するのは難しいのではないでしょうか。
ですが名誉棄損の概念は、真実を世の中に知らしめる公益性としばしば対立します。
論文そのものは消されていて読めませんが、残っている論文の引用などからは「この文章が青少年にとって有害」である事の根拠やロジックが無いように見えます。
正当性は?
「○○が有害である」という主張は「○○の中には××という要素があり、それが~という働きをするため、△△にとって有害です」といった論理がなければ無意味です。
また、論文はフィルタリングの具体的な方法についてであって「青少年にとって有害」というフレーズを含める意味が見当たりません。
著者・作品まで具体的に記述してあるのですから、この点はキチンと処理しないと名誉棄損になる、と通常は考えるものだと思いますが、なぜこうなったのかは私には理解できませんでした。
さらに言えば、その作品が未成年の目に触れないようにpixiv側はシステムを作っている点なども、おそらく記述は無いようです。
学術論文としては不要な部分ですが、これが通常の記事などであれば当然必要な部分であり、この事が問題化しなかった可能性はほぼゼロだと思われます。
学術目的なら許されるのか?
これについて、学術目的の引用は広く認められる、という主張はあるようですが、学術目的の名誉棄損は広く認められる、という主張はないようです。
ただ、今回のケースでは作品の著者がペンネームを使っていると思われ、個人が特定されないなら名誉棄損罪とはなりません。
しかし過去の判例では、ハンドルネームのようなものでも「個人が特定されうる」なら裁判で有罪になったケースがあるようです。
つまり、著者が「ガードを固めていた」ためセーフになったとも考えられますが、本当に「個人が特定されうる状況でなかった」かは明らかになっていません。
本当にセーフなのか?
研究の対象者に事前の連絡すらないまま論文が公表されたため、著者側は「泣き寝入りか、警察・弁護士に相談」という厳しい状態だと思います。
ですが、あまり多くない論文支持サイドの主張では「配慮すべきだった」というレベルの認識であって、名誉棄損罪などは心配されていません。
ニアミスどころか、両者は正面衝突コースだったように私には見えますが、そこの点を挙げる意見はあまりないようです。
ニュース全体として、コミュニティの衝突という捉えられ方が感じられますが、一見すると問題のない法的な部分にこそ、私は問題があると思います。
そもそも、有害認定していいのか?
問題の根本は、「個人が特定されない=問題がない」という短絡的なものだと私は思います。
今回の件で「猥褻な文章が青少年にとって有害である」ことは、論文の執筆者にとって大切なことなのでしょう。
そうであるなら、きちんとロジックを考えるべきですが、そうしないなら「何も考えていない」ような印象しかありません。
また、配慮というオブラートに包んでも無意味であり、それができないなら有害という考え方から離れるべきです。
足りないものは?
私はゲームを作っていますが、客観的な理屈もなしに有害なゲームの作者として認定されれば、どう考えても問題がないとは言えないでしょう。
この件で、著作権についてはつっこんで議論されてますが、名誉棄損という考え方は一部の方を除いてあまり見られません。
正直、私自身もコレについては分からないので調べている、という状態ですが、誰もほぼ意識していない雰囲気はかなり強いです。
それぞれの集団の表現フォーマットに従っていれば、関係ないのでしょうか? 誰かが公共サンドバッグになるのも、解決策ではないはずです。
自分が殴られなければいいから、という考え方では安心できないため、私はこの問題に興味を持っています。
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