顔の左側にはホンネが表れる?
どうも、重金やからです。
今回はちょっと、小難しい話になります。
最近、調べ物で心理学を扱った web ページを見ていると、『顔の左側にはホンネが表れる』という記事がけっこうあるのに気づきました。
(実際に「顔の左側 本音」で検索すれば、たくさん出てきます)
で、それらの情報をまとめてみると
・顔の左側=ホンネの表情(プライベートの顔)が出る(『右脳』の影響)
・顔の右側=よそ行きの表情(パブリックの顔)が出る(『左脳』の影響)
となるらしいです。
つまり、
・相手のホンネを知りたいときは、相手の左側の表情を見ろ!
・自分のホンネを隠したいときは、自分の右側の表情を見せろ!
という結論のようです。
さらに別の記事には
・本当の笑顔=顔の左右が、対称的な笑顔になる
・作り笑い=顔の「右側」だけで笑っている
という情報もある。
ふーん、となんとなく思ってしまうが、だったら『顔の左側だけ』で笑ってる場合はどうなるんだろうか?
という事で、この情報の出所らしきものを探ってみると「アメリカの心理学者ハロルド・サッカイムの行った実験」というのが、これらの情報の元になってるらしい。
『サッカイムの実験』
この実験では、幸福・恐怖・驚き・嫌悪・怒り・悲しみの表情を現した顔写真の「左側だけを合成したもの」と「右側だけを合成したもの」をそれぞれ被験者に見せた。すると、「幸福」以外の表情(恐怖・驚き・嫌悪・怒り・悲しみ)は、その印象が顔の「左側」により強くあらわれる事がわかった。
つまり、幸福の表情だけは例外なのである。
ここまで調べたとき、ふとある本の記述を思い出した。
その著者はポール・エクマンという心理学者で、これまでの情報とは全く逆のこと(表情の対称性について)が書いてあり、さらにサッカイムの実験についても触れている。
引用すると、
“彼ら(引用者註:サッカイムたち)の得た知見を特に厳密に検討してみた結果、私は彼らが知り得なかった事実を発見できた。こうできたのも、私が顔写真を直接撮影した本人で、彼ら以上に事の仔細に通じていたためである。”
“ヘラルド・サッケイム(原文のまま)らは、私の作成した顔写真を真ん中から半分に切り、顔の右半分を左側にも鏡像の要領で回転させ、右半分を重ね合わせ全体的に右半分だけからなる顔写真を作った。顔の左半分についても、同じ要領で全体が左半分だけから成る顔写真を作ったのである。”
“私は写真を写した当人だったので、幸せの写真だけが本当に感情をあらわしている表情なのを知っていた。それ以外の写真は、モデルに頼んである特別の顔の筋肉を故意に動かしてもらったものであった。幸せの写真は、モデルが楽しんでいる隙をねらってその嬉しそうな自然の表情を撮ったのである。”
(P・エクマン「暴かれる嘘」P142-143より引用)
とある。
要するに、サッカイム先生は写真を自前で用意しなかったので思わぬ落とし穴に落ちたようだ。
とはいえ、その後これについては激しい論争が行われたようで、彼の実験はある意味で成功だったのだろう。
さらに、この本にはエクマン先生の意見として、「随意の(意図的な)表情」と「不随意の(自然な)表情」では使用される脳の部位が違っており、いわゆる「ホンネの表情」はすべて左右対称の形で現れる(一部の例外を除いて)、ということが述べられている。
少し難しい話になるが、サッカイム先生の主張には『脳機能局在論』というものが根底にあると思われる。
(当然、「右脳=イメージ、左脳=理論」といった単純な『右脳・左脳論』とは違うものである)
要するに、
・大脳の機能は大脳内の特定の部位で処理されている
・それが大脳の右半球あるいは左半球に偏在するなら、身体能力の左右差などに影響することがある
という事が、この場合は関係してくる。
その上で、表情を識別したり制御する脳の部位が大脳の右半球にあるという仮説に基づいて、顔の左右(特に左側)でその表現に差が生じるのだ、というのがサッカイム先生の見解のようである。
それに対し、エクマン先生は脳障害の事例から、「不随意の(自然な)表情」についてはその部位とは違う神経回路(大脳以外の)で制御されているとし、よってそれらの表情には左右差がない、と主張している。
つまり、左右差があるのは「随意の(意図的な)表情」だけである、という事だ。
何ともヤヤコシイ話ではあるが、サッカイム先生の説もエクマン先生の説も、スジは通っている。
もし、エクマン先生の説が正しいなら、冒頭の情報は
・左右対称の表情=ホンネの表情(プライベートの顔)
・左右非対称の表情=よそ行きの表情(パブリックの顔)
というコトに書き換わる。
はっきりいえば、最初の情報とは完全に別モノと言っていい。
で、こういった解釈の違いの根本には、「ホンネの表情」を実験室で生み出すのが難しい、という事情があるようだ。
そして、それらの表情が「本物」かという解釈の違いが、両者の対立をより複雑にしている様に思える。
仮に、「本物」の表情が生み出せたとしても、それを本物だと証明できないと意味がない。
そもそも、人為的な環境において自分の感情(表情)が本物かどうか、自分自身でもハッキリ自覚できるものだろうか?
ましてや、他人がそれを判定するのは、現代においても雲をつかむようなハナシである。
さらに、こういった「本物の証明」の難しさは、心理学において『ウソ』の研究が進まない原因にもなっているらしい。
「ウソをついてください」と言われてついたウソは、本当にウソなのか。
「ウソをつきましたか?」と聞かれて「はい、そうです」と申告したウソも、本当にウソなのか。
何が『ウソ』で、何が『ウソでない』のか、そもそも『ウソ』って何なんだ? という根源的な問いが、そこにはあるのだ。
で、今回の件で最も興味深い点は、こういった心理学者たちの「白熱した議論」がいつの間にか、
『相手のホンネを知りたいときは、顔の左側を見ろ!』
という、まるで別の結論になってしまっているコトである。
そんな理屈は、そもそもサッカイム本人ですら全く身に覚えのないことに違いない。
[…] 出典: anabasis.jp […]
事実を正しくとらえようとして書かれており、とても参考になりました。
自然発生的な笑みは大脳辺縁系の情動を反映し、作り笑いは随意的で左右大脳皮質の活動を反映したものとして表れるのでしょうね。